ミュ−ジシャンズライフ イン ニューヨーク昔話 vol.4 バンド編Part2

ライブのスケジュールが決まるとその1週間か10日くらい前に3人でダウンタウンを

中心に街中にビラを貼りまくる。 A4サイズのビラを数百枚用意し夜、一人は水のりの

入ったバケツと大刷毛を持ち、ここぞという街中の目立つ壁に水のりをダーッと塗った

後からもう一人がビラ(フライヤーと呼んでいる)を端からびっしり貼りまくる。 

もう一人はおまわりさん用の見張り役。

誰かしらのビラがすでに貼られているがそこは仁義なき闘い…構わず上から貼りまくる。

”Stop!! PD!” との声に見ればミュージシャン友達だった。

「今度はCBGB? 頑張ってね!」

 

PDのホームだった8BCが営業許可の関係でニューヨーク州とトラブって閉店してしまった。

で次に目をつけたのがイーストビレッジ・バワリー地区にあるライブハウス・CBGBだ。

ここの上層階はホームレスの簡易宿で、店の周りにはいつも紙袋の中に酒瓶をしのばせた

アル中ホームレスがウロウロしていた。 

リムジンでここに乗り付けそのままドロップアウトしてアル中ホームレスになった元弁護士の

インタビューを見たことがある。

 

CBGBはニューヨークミュージシャンの登竜門だった。

ラモーンズ・テレビジョン・パティスミス・ブロンディ・トーキングヘッズetc…

確かポリスも出てたはず。 PDはそのちょっと後くらいに出ていた。

 

毎週火曜の夜が公開オーディションナイトでそこで演奏してOKだったらレギュラーで

月1のスケジュールが入る。 そしてPDはCBGBレギュラーになった。

新たにキーボードのS君も加わり4人となって音の厚みが増してきた。

ただCBGBは連夜4バンドのライブがあり、なんてことないバンドも多いのだから

CBGBオーディションといってもまあそこそこできりゃOKヨ…といった感じで

その中にごくたまにキラリと光るダイヤモンドの原石が転がり込んでくる訳だ。

それが光り輝くスターとなるか原石のまま埋もれてしまうのか…それは本人達の

努力もさることながら計り知れない強運の女神が微笑むかどうか…という所に

行き着くと思う。

 

固定ファンを持っていて集客力のあるPDにCBGBは更に人が多いウィークエンドの

スケジュールを提案してきた。 返事はNOだった。ニューヨーカー:マンハッタン島に

住む者 にとってウィークエンドはブリッジトンネルピープル(マンハッタン島から

橋やトンネルを通ってやってくる外来者=田舎者、お登りさん)の日だった。

実際にウィークエンドのクラブ・ライブハウスに集う客質はあきらかに違ってまあ…

ダサくなる。 クラブ等は入場時に入り口で体格のいいお兄さん達の服装チェックが

あって一定レベルのファッションが求められる。ジーパン・スニーカー等とんでもない。

たしかに平日のクラブは客質といいインテリアと言いかなりカッコよかった。

 

それでも一度だけ試しにフライデイナイトやったのだ。 結果は予想以上だった。

客約1名もろブリッジトンネルピープルが1曲が終わるタイミングでわめき始めた。

単純明快なロックンロールしかうけつけない田舎のお兄さんには、PDのような

ちょっとひねったニューウェーブ系のサウンドは理解不能なのだ。

「歌うとか弾くとかなんかやれ〜!」

結局PDのサウンドはあの頃のアメリカでは大都会のウィークデイの客にしか

受けなかったようだ。 ヨーロッパから来た客には受けが良くて

終わった後よく話しかけられた。

まあこれはお登りさんナイトだと知りつつスケジュールを入れた方も悪い。

 

ライブの演奏時間は30分と決まっていて、大したギャラはもらってなかったがそれでも

出演バンド中最高額だったそうだ。 これで月1なんだから有名になってCDが売れまく

らない限り食えるわけがない。

ジャズミュージシャンの大御所達も例えばニューヨークブルーノートで4夜連続やって次の

都市へと旅まわり…次にニューヨークに来るのは半年後くらいだろうか…CDも少しは

売れるだろうが+なんらかのサイドビジナスをやっているという。

 

おかしな話がある。 貿易会社をやってる友人が”超コンパクトな豚の背脂肪測定器”と

いうのをこちらで売りたいという。当時メールはできたがネットはまだったのでどう調べた

ものか…ある日本人大御所ピアニストの前でなんとなく話した。 

当時私は彼のスタジオでエンジニアの真似事バイトをしていた。

「あ〜マイルス紹介してやるよ。」「マイルスってマイルス・デイビスのことですか。」

「そうだよ。あいつ養豚場やってんだよ。」…エ〜ッ!!マイルスのサイドビジネスが

養豚場!! いやさすがにそんなことでマイルス・デイビスを紹介していただくってのは

ミュージシャンとしちゃちょっとね〜… だいたい1台ばかり買ってもらってもしょうがないし…

 

でもCMに出てもらったりして…マイルス片手に測定器、片手にトランペットで豚ちゃんと

登場 ”Hey It’s a big fat boy” とか言いながら豚の背脂肪を測定、数値を見てニタッと笑い

おもむろにマウスピースに口をつけると  ” Pa .. Pa ..  Paraaaaaa “   ブヒッ!!  

 なんてね。

 

8BCが閉まってしまうちょっと前くらいだっただろうか…一人でパーフォーマンスをやってる

女性シンガーに衝撃を受けた。 6年間のニューヨークで見た最もユニークでクリエイティブ

なステージだった。 ケルトと東欧とアラブが絶妙にミックスした音楽スタイル、ルックスは

ちょっとセクシーな魔女、 名前はサーペンティン(蛇)だった。 フロアに姿を見せた彼女に

すかさずコンタクト、数日後に私は楽器と機材を持って彼女のアパートを訪ねた。

ポーランドの魔女は3匹の猫と暮らしていた。 早速セッションが始まった。

紹介していなかったが私の機材はかなり独特でギターは普通のストラトスだが60年代のアナログ

ギターシンセサイザーに3台のディレイがつながっていたのだが…基本単音しか使えないシンセで

例えば1弦で音を出したとしても2弦もかるく触れてしまったりすることがあると…迷うのか

とんでもなくイレギュラーで予測不能な音を出す。 御し難い機材なのだが私にとってはこの

偶発的な音がまたカッコいいのだ。

話をもどす。 セッションはかなり興味深いものになった。

「まるで狼と怪鳥のハーモニーね!」とサーペンティンは微笑んだ。 さすが魔女だ。

「じゃ是非一度PDのリハーサルスタジオへ」

この強力なヴォーカリストが参加してくれたらニューヨークとヨーロッパは行ける!!とマジで

思った。

サーペンティンとPDとの初セッションはちょっとPDが飛ばしすぎたかもしれない。

それなりに面白いサウンドではあったがセッション後彼女は私に

「どうもバトルしてるようで落ち着いてできないの。あなたとレコーディングセッションみたいな

形だったらやっていきたいけどね。」 と言って去ってしまった。 

自分で創造したBGMの魔法の庭で歌うことに慣れていた東欧の魔女子さんは新たなチャレンジは

する気はなかったようだった。 あの頃の私にもう少し説得力があったらなんとか彼女を魔法の

庭から引っ張り出し、PDのちょっとワイルドな魔法のジャングルの中での新たな存在感を楽しめる

所まで引っ張っていけただろうに。

私は事をちょっと事を急ぎすぎた。 先ずはPDのライブを見せてから彼女の曲がこのバンドだと

どういった演奏になるだろう…といった考える余裕を与えるべきだった。

その後サーペンティンの名を目にすることもなくなってしまい残念だった。

 

 

 

  

 

以下...字幕は無いのだがCBGBとオーナーのヒリーのストーリーを知っていただくためには

ベストな動画。 ただ最初の15分は訳がわからないかも...しかも残念なのは最近になって

youtubeへのクレームなのだろう...演奏や音楽を伴うシーンが無音になってしまった。

CSGB omfug オールムービー

 

なので以下の4分程度のダイジェスト版が見やすいかも

CBGB omfug   

 

 

それから

Youtubeでオリジナル曲のBGMチャンネルを作りました。 聴いてみてください。

resort spiritual sound

 

 

 



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