ストリートミュ−ジシャン・トラベラー昔話 vol.7 最終編ニューヨーク

マラガからの続き・・・

 

いきなりとんでニューヨークだ。 もちろんここに至るまで様々なストーリーがあるのだが、前回の

タラゴナ以降ストリートミュ−ジシャン活動が無く、久々ニューヨークで復活・・・という訳だ。

ヨーロッパではフォークギター一本で歌っていたのだが、ここに来てマウスというストリート用の

充電式ギターアンプでギターはエレクトリック、あこがれのギブソン335サンバーストの

ヴィンテージだ。  これらをキャリーカートに乗せての移動していた。

 

当時、マンハッタンのダウンタウン西側にアメリカにもこんな小さな部屋があるのか・・・という位

小さな部屋を借りていた。

緑あふれる裏庭に面した3Fの窓際に机は4トラックのレコーダとmac(これ何と2代目mac容量512k!)

にキーボードと鍵盤、すぐ後ろにベッド、そのままキャスター付き椅子で1mも移動すると冷蔵庫と

調理器、その次に流しと、ほとんど立って移動することなく全てがまかなえる中で音楽三昧ができる

状態だった。

こんな狭い部屋だったがこの裏庭の広がり感で救われていた。 ヤンキースで誰かがヒットでも打つと

周囲の建物から歓声が響きわたった。

 

今でもあると思うがハーレムにジャズモービルというジャズワークショップがあって、

登録料30ドルほどで、毎週土曜4時間程、一流のジャズミュージシャンのワークショップが半年

受講できた。

で真面目に頑張ってると「お前行ってこい。」とか言ってビッグバンドのクラスに送り込んだりして

くれた。  だから最初の数年は結構ジャズ三昧だった。

 

ストリートミュージシャンはなにしろジャズ系が多い。

ワシントンスクエアでギター弾いてたらある黒人の女性シンガーにバックバンド手伝ってと声を

かけられる。

ロングアイランドユニヴァーシティーの学生で職員なのでそちらのリハーサルルームに出入りし

はじめ、やはりそこに出入りするミュージシャンと色々つながりができてくる。

ジャズ研みたいなところなんだろうが、結構緩くて、学外の ミュージシャンも私のように

出入りする。 

友達になったピアニストから「スカラシップなんとかしたげるから大学入っちゃいなよ。」

と誘われた。

彼もまたここの学生で職員。 

スカラシップってそんな簡単に取れるのか職員が友達だと優遇してくれるのかあっさり言ってくれる。

そんなこんなで女性シンガーのバンド以外にもここに入り浸って、下手なりにジャズセッション

なんかやって楽しませてもらっていた。

 

そこに出入りしている黒人パーカッショニストのトニーが日課のように昼過ぎに電話してくる。

「ヨ〜ブラザー! 金が無いんだ、今日も頼むぜ!」 ストリートセッションのお誘いである。

ある程度メンバーが揃ったほうが客が集まるのだ。

トニーは黒人のくせに待ち合わせ時間がえらく正確でほぼピッタリかやや早めにコンガの袋を

かついで登場する。

たまにベビーカーを押して彼のベイビーと現れたりすることがある。 奥さんが複数いるらしくて、

そこらへんはさすがである。サックスのアティーボ、Wベースをかついでビルでいつものメンバー。

黒人の中に日本人ギタリストが1人入ってるストリートバンド。これで皆知ってるようなジャズの

スタンダードを演奏し3〜4回人垣を作ると、そこそこ小遣い程度になった。

ベストスポットはミッドタウンのど真ん中、有名なタイムズスクエアのあるコーナーなのだがここは

ミュージシャンやらダンサーやらが順番待ちしていて場所を確保するまでがかなり面倒。 

一稼ぎしたら次にゆずるという暗黙のルール。

 

我々はメンドーなのでもっとノンビリやれるところで演奏していた。

演奏してるとどこかのおじさんがよってきて耳元で「お前そのバッキング、もっとテヌートで

音伸ばして弾け」とか言ってくれるあたりはさすがニューヨーク。 

きっとどこかのギタリストだろう。 ストリートやりながらワンポイントレッスンが受けられる。

( すみません。つまりは私が未熟者だったということで、その辺は今も大差ないですが。)

 

アティーボもトニーも演奏の手が空いている時に通る女の娘にはだれかれかまわず声をかけた。

もう自動的な身体反応でニッコリ笑って「How are you doing ?」

なんともうらやましい性格だ。

 

さて演奏していてアティーボがよくサックスからピッコロに持ち変えるのだが、

その日はそこで必ず笑いがおきた。

ニューヨーカーは演奏がいいとよく笑ったりするがそういった感じではない。

お客さんの視線がどうもベビーカーの上のトニーのベイビーにそそがれているようだ。

なんとアティーボがピッコロを吹くとベイビーが反応してしかめっ面しながら左右の人差し指を

両耳身の穴に突っ込んでふさぐので、それがおかしくて受けているのだ。

アティーボは苦笑いしながらピッコロを吹き続けた。 

 

本来、子供は高音が好きなはずなので、これは拒絶というよりは、大好きな高音のピッコロに

反応して遊んでるのでは?と思うのだが、見てる人はそうは思わないだろう。

でもおかげで集金率少しアップしたかも。

終わるとみんなで稼いだギャラを人数割りで分担し,解散する。  

今思えばこの子にもミルク代くらい渡すべきであった。

 

何時もは地下鉄で行って帰って来るが、たまに面倒だとタクシーに乗る。マンハッタン内だから

料金もたかが知れている。

タクシードライバーが話しかけてきた。「ギタリストか。 俺の名前はコノセケン!」と言って

振り返ったTシャツにそうプリントしてあった。 

と、いきなり左手ハンドル、右手にハモニカを持ってブルースを吹き始めた。

それでは、とギターを引っ張り出してプラグイン、14th streetを西に向かいながら

ブルースセッションが始まり演奏は私のアパートに着くまで続いた。 そこで30分程話し込んだ。 

ニューヨークのタクシードライバーはほとんど客が無事に建物に入るのを確認してから立ち去る。

 

ニューヨークには5年ほど居たのだが最初の1年半くらいはストリートミュージシャンでお世話に

なった。

その後は活動がオリジナル中心のニューウェーヴバンドでクラブやライブハウスがメインとなり、

ストリートからは遠ざかってしまった。 それからもうウン十年とストリートはやっていない。

 

ここでストリートミュージシャンライフを振り返って見れば・・・

「音楽に国境は無い」とはよく耳にするが、まさに世界中どこに行っても、ギターを取り出して歌い

始めれば人々の心の扉がパッと開く。 言葉は通じなくても。 

例えば、ギリシャの片田舎の村の広場等に怪しげな東洋人が入って来る。 そもそも東洋人なんて

見慣れてないし怪訝な警戒の目でチラチラと見ていても、ギターを引っ張り出して歌ったとたんに

いきなり全て解け去り笑顔に変わり輪ができる。 「まあワインでも飲め!」ということになるのだ。

夜遅く、イタリアの地方で電車待ちの間、旅行者仲間数人で入ったバールの女店主、

最初はうさん臭そうな顔してたのに1曲歌っただけでニコニコ顔で全員無料になったりとか。 

こういった事ははよくあった。

 

大体ヨーロッパを半年程旅してホテルにとまったのは多分10日程だろうか。

まあインドで知り合ったスペイン人の存在も大きかったが後は行った先々で

ストリートミュージシャンしながら知り合ってお世話になった人達だ。 

そしてニューヨークで知り合ったミュージシャン達。

旅をしていて地元の友達ができるか否か、この差は大きい。外部の人間ではあっても彼等と行動すると

活動領域が観光旅行とは違うから、やはり面白い。

大体,私のようにヨーロッパに着いた時点で所持金10ドルという無謀なことすると現地の人の助けが

無いと生きていけなかった・・・・というのもあるのだが。 

芸は身を助けるとは言うが,音楽の場合それプラス沢山の友達を行く先々に作る事ができる。 

よっぽど「かんべんしてくれ!」という音楽内容でなければ。

 

あんな無茶な事は若かったからできたんだろうが、たまにこんなえ〜歳になってまたスペインとかで

ストリートミュージシャンやったらどうだろう? とか思う。  

ギターは大きすぎるからテナーウクレレがいいな・・・コンパクトなアンプ使ってヘッドマイクにしたら

がならなくていいな・・・とか。  こうやっておとなしくウン十年と東京に暮らしてるけれど

心はいつも旅の空・・・・か。

 

 

                              

 



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